14
Mai

Vieux Millésimeを開ける、Paul Louis Eugène -No2

Grand vin de Vin de Table ヴァン・ド・ターブルのグラン・ヴァン Rouge Feuille de Paul Louis Eugène 94 ルージュ・フウイユ・ド・ポール・ルイ・ウージェン 仙人のような生活をしていたポールの山小屋から見えたあの景色が目に浮かぶ。 ミネルヴォワの山の中。 94年、ポールがまだエネルギー満杯だった頃のワイン。 エモーションが伝わってくる。感動の美味しさ!!   

21
Mar

日本に来たらここは寄らないと、Méli Mélo

日本に着いたばかりLaffitte ラフィット親子。時差ボケ解消は初日から朝まで飲むこと。 ここにやって来ました。 Méli Mélo!! 眠そうな18歳のマテウスを強引に連れてきた。 お父さんのエドアードは息子を気づかってチョット心配そう。 フランスでは18歳で成人となる。でもお父さんにとっては息子はまだ息子なのだろう。 宗像シェフは私が来るのを手ぐすねをしながら待っていた感じ。 即ブラインドとなった。 絶対に外してはいけないワインを外してしまった。ポール・ルイ・ウジェンヌだった。 La petite cuvée cailloutine の90年台のワインだった。恥ずかしい。 孤高の醸造家ポールが一番元気な頃のワインだった。 当時、南仏といえば、ポール、ゴビー、クリストフ・ペイリュスの3人が愛好家の中では評価されていた。 その中でもポールは別格の存在だった。 La petite cuvée cailloutine 流石にやや疲れていたけどミネルヴォワ山中の硬い石灰質のミネラル感は輝くほど生きていた。 ありがとう!宗像さん。       昨年の10月に、もう引退しているポール・ルイ・ウジェンヌ醸造に訪ねてポールに逢ってきたのに。 ポールは満面の笑顔で迎えてくれた。山を開拓して葡萄園を造った過酷な仕事をしたので、 今は体を壊して入退院を繰り返して療養中とのことだった。 それでもじっとはしてられなくて、家の改装や木製のオヴジェを創ったりしていた。 本当はドクターストップで飲んではいけないのに、一本開けて軽く飲みながら色々話して来た。          バニュルスの大好きなワイン Le Casot des Mailloles ル・カゾ・デ・マイヨルのロゼを開けた。 いやあー、美味しかった。 夜も遅くなって流石に、ラフィット親子も疲れてきたので、壁にエドアードがサインして終わりにした。      ありがとう!宗像さん!今回、スケジュールが詰まっているので逢えるか、チョット心配だった。 逢えて嬉しかった。最後のシェフのシメ特性パスタは最高でした! 感謝!

9
Oct

文明から孤立する孤高の仙人、PAUL・LOUIS・EUGENE

ポール・ルイ・ウジェンヌ復活 『ポールに逢いたい。』 僕は運転席の伊藤さんに言った。思えば、伊藤さんと出逢った10年前に初めて飲ませてもらった自然派ワインがポールのアビリ(HABILIS)で、それが切っ掛けでこの世界に陶酔した。それもあり、どうしてもポールに逢いたかった。しかし、遠慮していたのも事実である。何故なら、ポールには個人的事情があったからだ。収穫の時期に合わせてミネルボアとコルビエールで蔵元巡りをしないかと誘われて取材することになり、ナルボンヌ駅で待ってくれていた伊藤さんの車に乗り込んで少し経った時のことである。 伊藤さんがポールと知り合ったのは、偶然の賜物。伊藤さんがミネルボア地域の蔵元巡業をしていた時、山手にあるシラン村へ行こうと車を走らせていたら、道に迷ってしまった。随分山奥まで入り込んでしまい、不安になりそろそろ引き返そうかと思った頃に突然眼前にぶどう畑が現れたのである。地図にも載っていない山奥にあるぶどう畑。引き寄せられるようにそのまま車を降りて、一つだけポツンと建っている小屋へ向かった。 その小屋の住人であり、ぶどう畑のオーナーであったのがポール。見知らぬ東洋人の突然の来訪に戸惑ったが、ワインのネゴシアンだと名乗ったその東洋人にワインを振舞ってくれた。その時の伊藤さんの驚きは言語に絶する。酒を口に含めば、当然酒の味がする。古今東西どんな酒でもそれは同じ。酒の種類によって違いはあれど、ワインも例外ではない。ところがポールのワインを口に含んだ伊藤さんが感じたのは、酒でありながらも同時に体液だった。つまり違和感がない。 伊藤さんは思わず取引を申し出た。ポールは一言だけ言って快諾した。 『俺のワインは、ここに辿り着いた者にしか売らない』 ポールはその山小屋に住んでいた。聞けば、自給自足の生活だという。確かに見渡すと、ぶどう畑の他に野菜畑、養鶏、養豚まで手がけていた。下界に下りて買い物するものといえば、塩と洗剤、歯磨き粉等、極限られたものだけだと言っていた。 興味深い逸話がある。伊藤さんが醸造元によくする質問を投げかけた。美味しいワインを造る三つの秘訣を教えて欲しいと。するとポールから返って来た答は意外なものだった。『必要なのは一つだけ。貧乏に耐えることさ。』秘訣は山ほどある。美味しいワインには美味しい理由が絶対にある。この質問をすれば、99%の蔵元は自慢げに長々と語るのが常なのに、ポールは違った。その貧乏に耐える」という短い言葉の中に、ポールが如何に命を懸けているかが窺えた。剪定では枝毎に一つしか芽を残さず、肥料、農薬は全く使用しない。つまり、冷害や病気によるリスクの回避は全く行わない。そればかりか、醸造したワインも自分が納得するレベルになるまで出荷しない。 つまり、気に入らなければ何年も出荷はされずに樽の中に眠ることになる。最低限に絞り込んだ生産量で最高の品質を求め、しかもその出荷はいつになるか例年決まっておらず、そして来た者にしか売らないわけだ。これではお金が回転するはずがない。伊藤さんはこの偶然の出会いをもたらしてくれた神に感謝した。 ところが21世紀を迎えて間もない頃、そんなポールに不幸の神が舞い下りました。詳しい理由は本人以外知らないのですが、大切な畑の所有権を失ってしまったのです。それはまるで羽を捥ぎ取られ奈落へと落ちる絶望の最中に、大鷲の鋭い嘴に喉の肉を啄ばまれるような試練でした。 ポールを復活させたダニエル