12
Mai

地の果て”Le Bout du Monde ル・ブ・デュ・モンド醸造   エドワード・ラフィット -NO1

Salon de vin “Indigenes” ワイン見本市“アンディジェンヌ”Part-15 本当に、ここの葡萄園に行くと、遠い“地の果て”まで来てしまったなあ!とジーッと見つめてしまう程の素晴らしい景色。 人里はなれてここは、まだ地球なのか?と思わず疑ってしまうほど。 こんな景観を見ながら育った葡萄達のワイン。 エドワード・ラフィットは、フラール・ルージュのジャン・フランソワ・ニックがエステザエルグ農協の醸造長時代に部下として共に働いていた。 ジャン・フランソワが独立して、ルシオンに来てしまった後、3年間、エステザエルグ農協の醸造長を務めていた。 自分も独立したくなって、後を追うようにここルシオンに来てしまった。 エドワード・ラフィットには最初から目指すワインのスタイルが決まっていた。 果実味を持ちながら、軽めでスーット体に入っていくワインを最初から目指していた。 だから、涼しい標高の高いところで、北斜面の涼しい畑が必要だった。 2005年理想の条件の畑を手に入れて醸造を開始した。 当時、同時期にルシオンに来たメンバーの一人で、一緒にジャン・フランソワ・ニックに醸造指導を受けていたのがYOYOだった。 姉弟のように仲の良い二人のワインは、最初から目指すところが同じだった。 南の太陽を生かしながら、熟してフレッシュさを残してスーット体に入っていくワイン。 二人とも標高の高い山の北斜面の畑を選んだ。 だから、二人のワインには共通するところが幾つかある。          

9
Mai

変革者 Foullard Rougeフラール・ルージュ                 ジャン・フランソワ・ニック

Salon de vin “Indigenes” ワイン見本市アンディジェンヌ Part-7 ルシオン地方のワインの歴史を根本的に進化する切っ掛けを創ったのはこの人に間違いない。 Jean-Francois NICQジャンフ・ランソワ・ニックだ。 今でこそ、自然派ワインが多く存在する有数の地方になっているルシオン地方だが、2002年以前は皆無だった。 南ローヌの農協CAVE ESTEZARGUEカーヴ・エステザルグで醸造長をやっていたジャン・フランソワが2002年にこの地にやって来てルシオンの歴史が変わった。 当時、このルシオンでは、濃厚でアルコールが強いワインしか存在しなかった。 殆どの蔵がまだVIN DOUX NATUREL酒精強化ワインを中心に造っていた。 濃厚さ、アルコールの高さ、甘さ、すべてが時代遅れになって、売れずに八方塞がりのルシオン地方だった。 2000年初期から世の中の人達が求める味覚が大きく変化した。 料理の世界でも同じだった。 濃厚なスタイルから繊細さ、フィネス(上品さ)へと一般レベルで本格的に変化していた。 当然のごとくワインに求められる方向性も変化して来た時期だった。 そこにジャン・フランソワ・ニックがこのルシオンに登場。 灼熱の太陽を栽培でコントロールして、自然派の特徴であるセミMC(マセラッション・カルボニック醸造)を駆使して、色もアルコールも軽めで、繊細で、上品な果実味豊かなワインをここルシオンで造りあげた人物だ。 彼の成功を見て多くの若者達がここルシオンにやって来て、ジャン・フランソワ・ニックの教えを受けることになった。 ジャン・フランソワ・ニック学校と言っても過言ではなかった。 こうしてルシオン地方が自然派ワインの一大産地となった。